『地域の情報だけは追うな!』茨城県稲敷市地域おこし協力隊に任命され初日に思ったこと。
こんなことになるとは、つゆほども思わなかった。
平成30年4月2日、水元青年は今日、茨城県稲敷の地域おこし協力隊に任命された。
正直に言えば、彼にとってこれはだいぶ大きな賭けだった。今年の誕生日で27歳を迎える男――もうすでに友人の中には、結婚をし、子供もいるぐらいの年代――が、地域おこし協力隊に一石を投じるのは、大の大人が三輪車に乗って、急な坂道を猛スピードで駆け降りるくらい無茶で愚かな行いだと(個人的な見解にすぎませんのでご了承を)。
なのに、どうして?
彼には目指すべき目標が2つあった。それは小説を書きつづけるということと、出身地である茨城県のために何か還元したいという強い野心。その両方の目標に上手いこと近づくには、今の彼には地域おこし協力隊しか選択肢がなかったのだ。
稲敷は現在、人口減少がとどまることを知らない。
平成28年3月1日には男21,638人、女21,749人、計43,387人いた人口が、翌年の平成29年3月1日には男21,335、女21,407、計42,742人、さらに翌年の平成30年3月1日でも減少を続け、計42,017人と、近年だけでも1年経過するごとに約600人から700人程度の人口流出が起きている。廃校する学校は増え、若手が減り、若手がいなくなれば、活気がなくなり、市が廃れていくのは必然だった。
少しでも力になれることがないか。非力ではあるけれども、筋肉のほぼほぼないこの腕ではあるけれども、運動も特にしていないショッカー同然の雑魚キャラではあるけれども、支えられるものがあるんじゃないかと、水元青年はクラーク博士よろしく、大志を抱いて立ち上がったのだ――。
かくして水元青年は、その重い腰を上げ、冒険の書を書き換えた。
コレは『イナシキノオハナシ』。
稲敷地域おこし協力隊1日目にして思ったこと
と、まあ、だいぶトーンの定まっていない文面で始まった当ブログですが、このブログではまじめ腐った好青年の標本が書くような理路整然としたブログを書くつもりは毛頭ありません。ふざけを基調とした、モダン風の造りで、かつ新築の木の匂いを漂わせ、ジャグジー付き、ウォシュレット完備、大きめの庭にはブランコがあり――といったブログを書いていくつもりなので(もちろん稲敷の情報は発信していくよ!)、そこんところヨロシク。
で、まず初めに思ったこと。
というか、これからのビジョンとして、考えなければいけないことを綴っていきたいと思います。おそらくこれは、2018年現在、地域おこし協力隊として活動している同志、約5000名の有志の方々にも通じるものがあるのではと思うので、ここに記します。
まずは、『情報発信は地域の情報だけじゃだめやね』ということ。
もちろん地域の情報を面白おかしくご紹介していこうとは思っていますよ、絶対に。そこを抜かしたら何のための「稲敷地域おこし協力隊」なんだって怒られちゃいますから。でも情報が地域オンリーに偏っちゃうと、見てくれる人の数が限定的になってしまうとも思うんです。
稲敷について知りたい人、これから住もうとしている人、実際に住んでいる人、観光に行こうと思っている人、ちょっとした用事でふらっと行こうとしている人、それら全員、ぼくらが働きかけなくても初めから「稲敷に興味のある人」なんです。いつかは来るんです、勝手に。その人たちのために稲敷の情報を発信してもあまり意味がないような気がしませんか?
ぼくらが相手にしなくちゃいけないのは、もっと外側、「稲敷に全く興味のない人」、そもそも地名も知らないくらい縁遠い人を引き込まなくちゃならない。そのためにはまじめに地域の情報を発信するだけでは弱い。ならばどうするか? 面白いブログを書く。これは当たり前 (そんなこと言って面白くなかったらどうすんねん)。
あとやるべきことは、地元に根付くという地域おこし協力隊の意義を逆手にとって、全く違う地域の情報を発信していくのはどうだろうかと。そのためには、みんなが知りたい情報、PV数の稼げる情報を追うしかない。
やるならTOKYO。人気アイドルはTOKIO。
幸い、稲敷は田舎ではありますが、東京へのアクセスは悪くなく、大体車で60キロも走れば着いてしまうという利点が存在する。これは使える……。
稲敷×東京×いかれたブロガー=……
そしてガリレオ顔負けの方程式で導き出した解は――。
「東京のイベントに参加して、当ブログで発信していく」
しかし、こればっかしは仕事内の時間では無理なので、休日に東京まで出向いてイベントに参加し、ブログを書くという、奴隷寸前のタイムスケジュールで動かなければなりません。そのうえ地域おこし協力隊の仕事もイベント系が大体を占めるので、土日がつぶれることも多々あり。うーん、課題は山積み。
真似はするな。同志よ。死ぬぞ。
追記
もっと濃い内容のブログ書きたかった。
もっとうまい構成で書きたかった。
3年間続ける自信あんまりない。
でも頑張る。
でも大丈夫!(吉高由里子風)