江戸崎にある『甲らく屋』を小説風に紹介してみた!
美由紀は、まっくろくろすけを生成する達人として名が知れ渡っていた(町内レベルで)。
ひっくり返せばそこにいる。ハンバーグ、生姜焼き、餃子、焼肉etc。焦げという名のまっくろくろすけは美由紀をこよなく愛し、美由紀はまっくろくろすけを忌み嫌っていた。
いくら母親から教わっても、注意不十分で料理していること自体を忘れ、挙句の果てに「お腹がすいたなあ」と外に出かけ、外食するという始末。その間、火はつけっぱなし。軽いボヤ騒ぎに発展しかけたが、事態に気付いた母親が、生成されるまっくろくろすけの成長を止めたため、天井にまっくろくろすけの大ボスが出来上がっただけで、けが人はいなかった。
それからは「もうなにもするな!」と半ば強制的にキッチンから離され、美由紀は料理したくてもできない環境に置かれてしまった。クックパッドを眺めては、涙を流す日々が続いた。あの憎き、まっくろくろすけさえ、現れなければ……。
美由紀は考えに考えた。まっくろくろすけを生成しない方法を、だ。
料理をしなければ、まっくろくろすけは現れない。なら料理をしなければいい。しかし、料理はしたい。美由紀にとって、料理とまっくろくろすけは表裏一体、紙一重、神羅万象、しゅらしゅしゅしゅ、焼肉定食、バンバンジー。切っても切り離せない絆で結ばれた兄弟のような関係だった。
そうして思いついた。料理をする場所は、何も自分の家でなくてはならない法律もない。
料理教室に通おうと思ったのは、そんな経緯からだった。
料理教室初日、美由紀はどきどきしながら教室の扉を開いた。学生時代に戻ったようなワクワク感と、不安。あの子と一緒のクラスだろうか。新しいクラスで仲良くやっていけるだろうか。楽しく一年過ごせるだろうか。扉を開けて、美由紀は唖然としてしまった。
その料理教室には、すでに男性が八名ほどいた。料理教室は花嫁修業の一環として開かれていると思い込んでいた美由紀は、まず初めに「男、多っ!」と声を漏らしてしまった。初手としては大失敗。クラス替えなら初日にして孤立。男性が多いことを批判的なイントネーションでつぶやいてしまったため、中にいた先住民(男性たち)から冷たい視線を浴び、美由紀はひやひやしながらキッチンの方へと歩を進めた。
初日に作る献立は、「豚キムチ定食」だった。定員十名のうち、八名が男性、一名が美由紀、もう一人は急用で欠席(どうやらこの欠席した人は女性だったようで、美由紀は歯がゆい思いでこぶしを握りしめた)。男性たちは終始無言だった。料理教室の先生が説明する通り動き、淡々と作業的な料理が続いていく。美由紀は葬式のような重い空気に耐えられなくて、鼻歌を唄ってみた。米米CLUBの『かぜになりたい』。その一見渋い選曲に男たちは度肝を抜かれ、一瞬だけ手が止まったが、重苦しい雰囲気が一変することはなかった。
そういったわけだから、出来上がった豚キムチは、案の定、全く味がしなかった。無言で作られた豚キムチの気持ちになって、美由紀は心底哀しい思いで涙をこらえた。本当はもっときれいなお姉さんに作ってもらいたかっただろう。すべすべな手で、優しく持ち上げられ、キムチとともに炒められたかっただろうに。
その時、一人の男性から声を掛けられた。
「『甲らく屋』の豚キムチには到底かなわないですよね」
今まで「無言の男たち」というひとくくりのグループで彼らを見ていたため、一個体にまで注目をしていなかったが、声を掛けてきた男性は、優しい雰囲気のある好青年だった。敷島大介その人だ。
「江戸崎にある、あの?」
「そうです、ご存知ですか?」
ご存知も何も、美由紀はあの周辺に住んでいて、毎日のように通い詰めているほどの常連だ。思い出してまたお腹がすいてしまう。
『甲らく屋』。
弾力のある豚。
ニラは新鮮。
キムチの辛みもちょうどいい。
しかしこの定食の主役は豚でもニラでもキムチでもなく、卵だ。
一口食べただけで卵の旨みが馬鹿ほどに口に広がる。触感はふんわりふわふわ、羽毛布団以上綿あめ以下ぐらいのふわふわ感。しかし味はふわっとしておらず、直球ドストレートで卵の味が舌を突き刺してくる。卵がおいしい店は何を食べても旨いという根拠のない持論を展開させると、この店のごはんも何を食べても旨いのだろう。事実、美由紀は前にもこの店に魚をたべにきたことがあるが、(詳細は覚えておらず、確かほっけかサバの塩焼きか何かだったと思う。)旨みの根源であるつややかな脂が箸を入れるたびにしみ出して、その様子だけで、これでもかとよだれを垂らしたものだった。
見た目にも気を使っているのが好印象だった。小鉢に入れられた漬物、豆腐、ひじき、お椀の味噌汁、そのどれもが必要不可欠で腐れ縁の仲間だとでもいうようにフォーメーションも崩さず配置されている。しかもどれも味がしっかりしている。ひじきにいたっては、太さが普通のひじきの二、三倍はあるだろうか。丁寧に丹精込めて作っているのが伺えて、美由紀はそれだけでうれしくなった。作り手も、食べる人の笑顔を想像して調理したのだろう。
「これじゃあ、どれだけ練習してもあそこの店ほどおいしくはできないだろうな」
敷島のつぶやきに、美由紀は頷かざるを得なかった。
「本当におれのこと知らないの?」
美由紀に声を掛けてきた男はしつこく聞いてきた。あの料理教室にいたのだろうか。敷島以外の七人は、顔にもやがかかったように思い出せない。いたような気もするし、いなかったような気もする。それとも他の場所で……。
「ま、いいや。とりあえず式の予定だけ決めてから帰ろう」
「し、式って、まさか」
「結婚式に決まってるだろ。みなまで言わせるなよ」
男は強引に美由紀の腕を引っ張った。
カスミ店内のコーヒーショップに落ち着くと、男はまた口を開けた。
「敷島はもう知ってるんだ」
「何の話ですか?」
「おれたちが結婚することさ。あいつにはスピーチをしてもらおうと思っていて」
何が起きているのか、全く分からない。美由紀は自分一人だけが世間から切り離されてしまった気がして、『風になりたい』を口ずさんだ。例のごとく、重苦しい雰囲気が一変されることは決してなかった。
『甲らく屋』
営業時間:11時30分~14時30分, 17時30分~0時00分
定休日:火曜日
電話: 029-892-1266
この物語を初めから見たいならこれを読むべし!
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